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鍼灸師を続けようと思った出来事

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2026年2月24日

よくわからない東洋医学

僕は何かきっかけがあって鍼灸師になったわけではありません。「鍼灸師」というちょっと変わった世界になぜ飛び込もうと思ったのか、謎です。高校3年生の自分に問うてみたいです。

 

スーツを着る仕事はなんとなくしたくない。

「つぼ」ってなんか面白そう。本当にそれだけでした。

 

実技の授業で受けた初めての鍼。正直、学校に入ったことを後悔しました。僕は鍼の刺激が苦手だとうことに、その時初めて気がついたのです。(つらい)

 

東洋医学の勉強は底なし沼のように奥が深過ぎて浮き上がれなくなりました。実態のない話が多くて、よくわからん。でも面白いような気もする。そんな気持ちで、なんとかギリギリで国家試験も合格しました。

 

試験のための勉強に追われていたので、あっという間の3年間でした。東洋医学、経絡、ツボを実際の人間にあてはめて施術することが「鍼灸師」の本番なはずですが、その準備もできずペーパー鍼灸師が誕生しました。

迷子で不安な鍼灸師

卒業後は地元の総合病院でチーム医療の一員を味わいました。一人の患者を医師と鍼灸師の二人で担当し、薬剤師、看護師とともに過ごした2年間はかけがえのない経験でした。鍼灸院では遭遇することの少ない疾患の患者さんに関われたこと、医師の診察を間近でみられたことは財産になりました。

 

その後、愛媛の漁師まちの診療所に拾ってもらいました。医師一人、看護師一人の小さな診療所。僕は自分の鍼灸が本当に役に立っていたのか、チーム医療の一員ではわからなかったこともあり、自分の実力を試したいと思って転職しました。(なまいき)

 

鍼灸の患者さんは任せたよ、と言ってくださる医師で自由に鍼灸ができる環境でした。

いざ、ひとりの鍼灸師として施術が始まると、以前の病院とは違って患者さんの反応が全て自分の実力なのだと痛いほど思い知らされました。結果が出ない。少しずつ自信を失っていく日々でした。

 

鍼灸の施術理論や方法(流派)は数多くあります。自分にはどの方法がいいのか、何の勉強すればいいのか定まっておらず、焦りと迷いの毎日でした。

鍼灸師を続けてみようと思った出来事

肉体労働をされていた50代の女性が通われていました。

 

はっきりした性格で当時20代の僕よりも潔いというか、男前な感じの奥さん。月に1回くらい来られていたと思います。特別深い会話をした記憶もありません。

 

僕が辞めるということも小さな町にはすぐに広まり、その女性が最後の施術を受けに来てくれたときのことです。施術後に涙を流してお礼を伝えてくれました。

 

涙を流すようなタイプじゃないと思っていましたし、そこまでお役に立ててる自信もなかったので衝撃を受けました。20年以上経った今でもその時のことをはっきり覚えています。

 

自信のなかった当時、(ただ涙もろかっただけかもしれないけど)その涙をみて、初めて自分が役に立っていたのかもしれないと感じた瞬間でした。今も鍼灸師としてがんばれていることの支えになっています。

 

鍼灸師としてもう少し生きていきなさいと、神様が言ってくれたのでしょうか。

 

あれから20年、まだ鍼灸師として粘れています。出会いや別れには「転機」となる出来事が用意されているのかもしれません。あの女性のおかげで今も鍼灸師ができているんだなと、スタバでコーヒー飲みながら思ったので、当時のことを綴りました。

 

 

この記事を書いた人

鍼灸院めぐる 院長

2010年「鍼灸整骨院めぐる」を開業。同年、活法に出会い衝撃を受ける。2016年に根本的な施術を目指し保険での柔道整復施術を停止する。「鍼灸院めぐる」に改名。スタッフと2名で鍼灸専門として日々奮闘中。気ままなブログ「はりパパ日記」もたまに更新中。

 

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